平和と太平を願う
— 麒麟の絆 —

日光と鳥取の「麒麟」

 鳥取の人も日光の人も、鳥取と日光には何の縁も無いことと感じることであろう。しかし、現鳥取県の起こり(因幡・伯耆)の歴史を遡れば、鳥取県の前身である鳥取池田藩が徳川将軍家と深く強い関係があったことに気付くはずである。徳川将軍家と鳥取藩、鳥取と日光、このニつの間で今日まで四百年間連綿と続いてきた関係を証左するもの。それは「麒麟」の存在である。  麒麟信奉伝承の源は「平和」と「地域安泰」への哲学と思想で、中国の周王朝から漢王朝にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物「礼記」によると、「麒麟」は、王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物「瑞獣」とされ、鳳凰、霊亀、応龍と共に「四霊」と総称されている。この麒麟をこよなく信仰した徳川家康公は、日光東照宮の陽明門に14頭、拝殿に9頭など、全部で49頭の麒麟の彫刻や絵画などの装飾が、龍や獅子などの様々な霊獣の中心的な存在として扱われている。  初代鳥取藩主池田光仲公は、池田家が関ヶ原の戦いで豊臣方についたため、大名家としては外様大名であるが、徳川家康公の実の曾孫にあたり(家系図参照)、家康公より厚い寵愛をうけ、外様大名としては異例の51万石で鳥取を収めることになった。光仲公は、鳥取を収めるにあたり、祖父の威光を知らしめ、麒麟信仰による「平和」と「太平」の祈りを鳥取に根付かせるため、日光東照宮の分院である鳥取東照宮を建立した。また日光東照宮の金の頭を持つ獅子と祖父の麒麟信仰にならい、鳥取東照宮権現祭の御幸行列の獅子として、全国に類を見ない面長な麒麟をモチーフにした獅子頭の麒麟獅子を創造した。こうして酒に浮かれながら舞う能の演目『猩猩』に習い、真っ赤な能装束で飾った猩々が、ふくよかな微笑みをうかべ赤い尺棒で一本角の金色の頭に、赤色の胴幌の麒麟獅子を導く、まるで能のような優美な舞が、因幡地方に数百カ所、但馬地方に數十箇所と広く根付くこととなった。
 悠久の時を越え、ここ鳥取と日光に息づく平和と太平を願う麒麟の絆。文化も異なり、遠く離れた地ではあるが、この一見何の所縁もない鳥取と日光には距離や政治の枠を越えた、人の思想の根底に流れる、精神的な深く強いつながりが確かに存在しているのである。